詠の映画ブログ

映画やアニメの感想など

【韓国文学】ハン・ガン著『菜食主義者』内容ネタバレ感想:フェミニズム文学

ハン・ガン著『菜食主義者』を読んだので感想をまとめました。

フェミニズムが盛り上がっている韓国らしい小説でした。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

 ハン・ガン著『菜食主義者』とは

 韓国の作家ハン・ガン(韓江)による『菜食主義者』は、表題作の「菜食主義者」と「蒙古斑」「木の花火」の三つの短編からなる三部構成です。

 

アジア初のブッカー賞(英国の権威ある文学賞)を受賞した作品で、2010年にはイム・ウソン監督により原作に忠実な映画化もされており、人気が高い小説です。


 「菜食主義者」では、ある日突然肉を食べなくなった女性ヨンヘが、その夫の目線で描かれます。

 

 「蒙古斑」はヨンヘの姉インヘの夫が主人公です。彼はヨンヘの身体に残る蒙古斑に欲情し、自身の作品のモデルを依頼します。

 

 「木の花火」は、命が危ういほど衰弱していくヨンヘが、インヘの目線で描かれます。

 

 感想を記す前に、まずは『菜食主義者』の内容あらすじを簡単にご紹介します。
 

 注:あらすじはネタバレを含みます。

 

菜食主義者』あらすじ

 

「平凡な妻の役」をこなしてきた主婦ヨンヘは、ある日残虐な夢を見たことを夫に告げ、肉を食べることを止める。彼女は夢のせいで不眠状態になり、肉だけでなく食欲自体が乏しくなり、痩せ衰えていく。

夫とヨンヘの父母は彼女に肉を食べるよう強要する。父が無理やり口に肉料理を押し込もうとし、ヨンヘはその場で自殺未遂する。

彼女は救急で運ばれ一命を取りとめるが、病院の噴水台で上半身裸で小さなメジロを噛み殺す。

 

蒙古斑』あらすじ

ヨンヘの姉インヘの夫は映像アーティスト。彼はヨンヘの体に蒙古斑が残っていることを聞き、そのイメージが頭から離れなくなる。

彼はヨンヘに近づき、自分の作品のモデルになってくれるよう依頼する。ヨンヘは承諾する。ヨンヘの体に色とりどりの花の絵を描き、彼の欲望が満たされる。

彼は後輩の男性を呼び出し、その体に花を描き、ヨンヘと性交するよう指示する。後輩は固辞して帰っていくが、ヨンヘは乗り気だった。

その姿を見たインヘは元交際相手のアーティストの女性に依頼し、自分の体に花を描いてもらう。そしてヨンヘと性交する。その様子を収めたビデオを、ヨンヘを心配して来たインヘに目撃される。夫が精神不安定なヨンヘに手を出したことに激昂したインヘは、二人を精神病の急患と見なし救急車を呼ぶ。

 

『木の花火』あらすじ

ヨンヘが菜食を始めてから3年後。インヘは夫と別れていた。ヨンヘは精神病院に収監された(インヘの夫は留置所に入れられ、その後姿を消した)。

父母はヨンヘを見捨てたが、インヘは妹を見捨てなかった。ヨンヘは食べることを拒否し、植物になろうとしていた。

インヘは人生に空しさを覚え、自分にも精神病の気配があることに気付く。

インヘと病院関係者たちはヨンヘの鼻から無理やり栄養を摂らせようとする。ヨンヘが苦しむ姿を見てインヘは処置を止めさせる。ソウルの大病院へ向かう救急車の中で、ヨンヘは木々を睨んでいた。

 

感想

菜食主義者』はネット上では「人間の植物性と獣性というテーマで書かれている」というレビューが多いですが、私はフェミニズム文学としての側面が大きいと受け取りました。


ハン・ガンは大学生のときに韓国の作家イー・サンの作品に感銘を受け、植物について書くというアイデアを得たそうです。

 

彼女は主人公ヨンヘについて「自分の人間の体を捨て植物に変身することで暴力に背を向けようとする極端な試みの裏には、人類に対する深い絶望と疑念があります。」と語っています。(THE WHITE REVIEWのインタビューより引用)

 

ハン・ガンの作品は初めて読みましたが、『少年が来る』という光州事件をテーマにした作品も発表しているそうです。

 

暴力と人権の抑圧が、ハン。ガンの主要なテーマなのだと思います。

 

第一部『菜食主義者』の主人公であるヨンヘの夫は、端的に言えば妻に対する愛情のない軽薄な男です。

 

異常な夢に悩まされ衰弱していく妻を病院にも連れていきません。ヨンヘに肉を食べさせようとするのも、化粧をさせるのも全て自分の体裁のためにやっています。

 

ヨンヘが美人や裕福な女性と違って劣等感を抱かなくていい「平凡な女性」であるから結婚したような男です。

 

また、ヨンヘの父親も(インヘ目線で)暴力的に書かれています。母親の代わりに家事をする姉はその暴力を逃れましたが、ヨンヘは父に殴られていました。

 

ヨンヘが拒食により背を向けようとしていたのは、そんな「家父長制の暴力」ではないかと思えてなりません。

植物の世界に肉体的な暴力性は存在しませんから。

 

異常極まるヨンヘの言動が、時たま重荷から解放された自由な人間存在に思える。そんな危うさがある小説でした。

 

他にもベジタリアンへに対する世間の風当たりの強さ、いじめが描かれていて、リアリティがありました。

 

蒙古斑』で、ヨンヘは「体に花を描く」というアートに強い関心を示します。

 

『木の花火』の中で、それが「植物と一体化することへの憧れ」だったことが示唆されています。

 

アーティストとしてヨンヘの中の「植物への憧れ」に気付いたインヘの夫は、実は作中で最もヨンヘを理解し助け出せる人物だったのかも知れません。

 

しかしインヘの言う通り、社会から見れば、彼は己の欲望を満たすために精神病の女性を利用した犯罪者に過ぎません。

 

芥川龍之介の『藪の中』のように、それぞれの証言の食い違いから真実が分からなくなる面白さがありますね。

 

それでも、インヘの夫はヨンヘを救えたかも知れないと考えてしまいます。

 

 

『木の花火』ではインヘの内面が重点的に書かれます。

インヘは妹に献身しながらも、自身が「自分の人生」を生きてこなかったことに気付き、そして自分の中にも精神病になる可能性はあることに気付きます。

 

この作品の中でもインヘの良妻として生きる苦悩や、夫からの性行為の強要など家父長制の暴力が描かれます。

 

インヘもヨンヘと同じように、女性であるがゆえの差別に苦しんでいます。

インヘを現世に留めたのは子どもの存在でした。

 

ラストの救急車の中で、インヘは自分の子どもにするようにヨンヘに語りかけます。作中でヨンヘのその後は語られません。

 

インヘがヨンヘの痛みを理解し、回復の手助けとなる未来があってもおかしくないのではないと思います。暴力の中で生きた姉妹が、自身の人生を取り戻せるといいのですが...。

 

ただ一人でもヨンヘを「そのままでいいよ」と認めてくれる人がいたら、彼女は死へと急がなかったかもしれない。

 

そう思わずにいられない、生々しい小説でした。

 

森を睨みつけるヨンヘの眼光は、この社会全体に向けられているのでしょう。

ハン・ガンの筆力と世界観はすごく魅力に感じたので、今後も読み続けたいです。

 

以上、ハン・ガン『菜食主義者』内容あらすじネタバレ感想でした。